<レッド・ドラゴン>トマス・ハリス <羊たちの沈黙>トマス・ハリス <ハンニバル>トマス・ハリス
その2 であります。<羊たちの沈黙>であります。3作の中でも一番印象深い作品であります。 映画では主にクラリスとレクターの関係が軸になっていたのだが、原作では、レクターとクラリス、クラリスとバッファロー・ビル、クラリスとクローフォド、クラリスとピルチャー・・・どれも重要な人間関係。また、クラリスがいろいろな男たちをいろんな意味で引きつけていることもわかる。彼女の賢さと美しさは時に彼女の武器となり、あるいは敵を増やすことにもなっている。
そう、みなさん、忘れてはいませんか?レクターのせりふ(「人々は私たちが恋をしているというぞ」)ではありませんが、なんかそういう話だと思ってません?この作品はクラリス・スターリングというFBI訓練生が特別捜査官になるまでのサクセスストーリー(!!)でもあるんです。いかにその美しさと賢さを武器に勝ち残っていくか。その意味でもジョディ・フォスターははまり役だったと思います。
対照的な二人の犯罪者、バッファロウ・ビルとハニバル・レクター。その辺の対比もおもしろい。二人とも異常犯罪に手を染めていることは共通しているが、一人は自分が本当に何がしたいのか、何をしているのかさえ理解していない。もう一人はあくまで紳士的で、知性と教養があり、専門は精神分析という医学博士で、常に理性を失わない。殺人を犯すときですら。社会病質者だといわれているがはっきりした診断は誰にも出せない。
ワレは彼は正気なのではないかと思う。異常ではあるけれど。「純粋な悪」というものがあるとすれば彼が体現するものがそれではないだろうか。だから私たちは彼に抗いがたい魅力を感じるのだ。私たちがどうしても悪を根絶できないのと同じことである。
そうしてレクターにひかれていく読者に、あるいは自分自身にブレーキをかける存在がクラリスである。 クラリスとレクターは鉄格子を挟んで向かい合う。あくまでその鉄格子はなくならない。そうでなくてはいけない。そのスタンスがこの作品におけるクラリスのあり方であり、ジョディ・フォスターの解釈でもあろう。 ヲヲ、やっぱりレクターとクラリスの話ばかりになってしまった。それくらいこの二人の関係、対峙は引き込まれます。 <おまけ> 最後のレクターの脱出術だが、マガジンに連載されていた「サイコメトラー映児」の中でも使われている。チェックしてみて下さい。 |
|