ストレスと癒し2
ではこのストレス社会(やなことばだね〜、前回も書いたけど何だってストレスになり得るんだからさ。こういう言い方すると悪いことしかないみたいじゃん。)において癒しとはどのように作用するのか?
出ました!癒し。癒しですよ皆さん。癒し。
これもかなり嫌いな言葉なんですけど。だってこれってただの逃げっていう意味にしか使われてないんですもの。
本来的には「癒し」とは「病気や傷などを治す」ことなんですよ。
でも・・・癒し系アイドル、ヒーリンググッズ、果てはソー○ランドまでヒーリングスポットとして雑誌に載る始末。(--#)ナオルカソンナモンデ! それって一時の逃げ以外の何もんでもないでしょ?
ストレスに立ち向かったり、乗り越えたりするために例えば10の力が必要だとする。 A もともと10の自己治癒能力を持った人間がいるとする。 B もともと10の自己治癒能力があるが、大きなストレスにさらされている ことによってその力が8に低下している人間がいるとする。 C もともと3の自己治癒能力を持った人間がいるとする。
この場合、A氏は現時点では「癒し」を必要としない。B氏は「癒し」によって自己治癒能力を10まであげ、自分で対処できる可能性がある。そしてC氏をいくら「癒し」ても10の力で対処しなければならないストレスに対し、3以上に自己治癒能力を高めることはできない。
もともとない力をそれ以上にすることは「癒し」ではできない。病院だって虚弱の人を元の状態より健康にする事ってなかなか難しいでしょ。なんだか「癒し」って魔法みたいにとらえられているけど・・・
もともとストレスに強い人、弱い人、というのもいるわけだ。もちろんそれで良いんだけど。何度もいうようにストレスになり得ないものなんてないわけだから。骨と一緒で、鍛えないと強くならないんだよね。 結局は自分の力をどう育てるか、ストレスとどうつきあうかっていうことになるわけです。
何でそんなことを色々考えたかというと<永遠の仔>天童荒太を読んだから。
天童荒太の作品、嫌いじゃありません。おもしろいと思います。でも・・・ この作品が「癒し系」と賞されることに私は反対。
そういっちゃう人に対して心の貧しさまで感じてしまいます・・・ |
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