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図書館だより 17 2002/02/24(日) 17:13

「人を殺してみたかった」藤井誠二
「寄生獣」岩明均

 「事実は小説より奇なり」
そんな言葉を引き合いに出さずともこれからどうやって生きていけばいいのかと自問したくなるような事件が立て続けに起こった。連続猟奇殺人、バスジャック、尊属殺人・・・このところ少し新聞は静かになっているようだが、事件そのものは全く解決したとはいえず、その糸口さえつかめない状態である。

 「人を殺してみたかった」はそれらの事件の一つ(この表現自体、異常だ)豊川市主婦殺人事件をまとめたものである。犯人の少年の発言が随所にちりばめられ、そのリアリティのなさに寒々しいような気持ちにさせられる。
 こういう本を読み、こういう事件に遭うと、怒りや驚き、悲しみ、空しさはもちろん感じるのだがワレはそれ以上に何も考えることができなくなる。
 思考できるということはそれだけで問題解決の方向性を知っているということなのだ。どんな悩みや問題でも最終的にこうありたい、という自己イメージや到達地点が見えてされていれば半分解決したようなものである。そこに向かって具体的な思考ができるのだ。逆に言えば到達地点が見えていないということは今現在の問題が見えていないということでもある。
 正直言っていくら読んでもワレにはわからなかった。何かのせいにすることはできるけれど、本当にそれで良いのか、という疑問が残るのだ。

 殺害したおばあさんに対して少年は「やるべきではなかった」しかし「もう死んでいるから謝っても仕方ない」という発言をした、とある。ワレはそこを読んで「寄生獣」の1シーンを思い出した。主人公はエイリアンに寄生され、彼と共存していくことになる。エイリアンには「仲間」「愛」といったいわゆる人間的な概念がない。主人公はエイリアンと体を共有するうちに彼のそういう部分がうつってしまう。ある日、公園でいじめられていた子犬を助けるが犬が死んでしまうと「もう死んだから」とゴミ箱に捨てようとしてしまう。
 主人公はそんな自分に気づいて愕然とするのだ。犯人の少年にもそんなときが来るのだろうか、自分がいったことの意味が分かるときが。
 
 
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