<探偵ガリレオ>東野圭吾
探偵小説は世に数あれど、名探偵と呼ばれるものにはどこか似通った雰囲気がある気がする。ホームズ、伊集院大介、犀川助教授、ミスマープル、円紫師匠・・・そして今回ご紹介する湯川助教授。 こんな人種も性別も年代もばらばらの探偵たちを似ている、というには反対の方も多かろう。中にはこんなのと一緒にするなという意見もあるだろうと思う。でもそこはあくまでキャラの話ということで。
謎解きに必要なものは当然論理的な帰結。思いこみや常識にとらわれず真実を追究する力。自分への自信。彼らはそういったもので満ちあふれている。犀川助教授、湯川助教授はもちろん、ほかの方々もいわゆる理系の人間であろうと推察する。(ということは作者も理系の方であろうね。) 「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。」・・・漱石の「草枕」の書き出しである。犀川助教授なんかはきっとこんな文は知っているんだろうけれど自分の頭のハードディスクから削除しているであろうと思われる。(笑)
理系の人ってそういう意味で純粋というか世ずれていないというか何か超越してるものがあるよね。文系の人間にはそういう人生ってとても苦しいのだけれど、湯川助教授なんかは「情」なんていう部分も理解しつつ、もちろんバカにもしないで、しかも超越していて(訳分かんなくなってきたが)それが本人にはちっとも苦痛でないところが「理系」なんだよね・・・
宮部みゆき氏なんかは探偵小説を書いてもコテコテの文系である。犯人、被害者、探偵、それぞれの感情であふれかえっている。謎解きも心情に沿って行われていったりする。
余談だが、森博嗣氏はデビューしたての頃、人間が描けていない、こんな人間はいない、というような批判を受けたらしい。でも大学の理科系の学部に行くとああいう人々はけっこういるんだよね。きっと批判した人は文系の人だったんだろう・・・
おっと本の紹介をしなきゃ。冒頭に名前を出した湯川助教授。理系の大学の先生ですから筋金入りの理系です。現役の刑事さん(当然この人は文系)が困っちゃった不可怪事件を学生時代のよしみで解き明かしてくれます。 読んでいると霊の存在なんて真面目に(しかし大した理由もなく)考えている自分が恥ずかしくなります。 でも湯川センセイはそういう文系人間にも優しいんだな。
もしかしたら理系人間の方が人間的なのかもしれないなあ。 やたら感情に走る文系の方が見方によっては野蛮だったりして。
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